「いつも喜んでいなさい」(Iテサ5:16)。パウロはまさにこの姿を体現しています。パウロは獄中からフィリピの信徒に向けて手紙を書いています。普通であれば、「助けてほしい」「励ましてほしい」と書くでしょう。しかし、パウロは反対にフィリピの人たちを励ましています。辛いのをぐっと堪えているのではありません。そうではなく、心から喜んでいるのです。パウロが捕えられることによって初めて、主イエスを知る人たちがいました。パウロはそれを喜んでいます。だから「わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい」と言って自分自身の喜びを伝えようとしているのです。
死ぬことになったとしても、かえってそのことで福音が広まることになることをパウロは知っています。ましてや、主のもとに行くことができることはパウロにとって最上の喜びです。自由に伝道することも喜び。捕えられることも喜び。死ぬことも喜び。パウロにとって全てが喜びなのです。
私たちには多くの苦しみがあります。しかし、その苦しみは全て、終わりの日に全ての被造物と共に、永遠に主を賛美することができるという最上の喜びへと繋がっていきます。どのような形で繋がるのか、私たちには分かりません。しかし、このことを知るならば、私たちの苦しみは意味の無い苦しみではありません。どのようなときも、私たちは必ず最上の喜びへと前進しています。だからいつも喜んでいることができるのです。
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