top of page

2024.10.27説教要約 フィリピ 1:12-30「キリストにある生」永瀬克彦牧師(上諏訪教会)

2024年11月8日
読了時間: 2分

「いつも喜んでいなさい」(Iテサ5:16)。パウロはまさにこの姿を体現しています。パウロは獄中からフィリピの信徒に向けて手紙を書いています。普通であれば、「助けてほしい」「励ましてほしい」と書くでしょう。しかし、パウロは反対にフィリピの人たちを励ましています。辛いのをぐっと堪えているのではありません。そうではなく、心から喜んでいるのです。パウロが捕えられることによって初めて、主イエスを知る人たちがいました。パウロはそれを喜んでいます。だから「わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい」と言って自分自身の喜びを伝えようとしているのです。

 死ぬことになったとしても、かえってそのことで福音が広まることになることをパウロは知っています。ましてや、主のもとに行くことができることはパウロにとって最上の喜びです。自由に伝道することも喜び。捕えられることも喜び。死ぬことも喜び。パウロにとって全てが喜びなのです。

 私たちには多くの苦しみがあります。しかし、その苦しみは全て、終わりの日に全ての被造物と共に、永遠に主を賛美することができるという最上の喜びへと繋がっていきます。どのような形で繋がるのか、私たちには分かりません。しかし、このことを知るならば、私たちの苦しみは意味の無い苦しみではありません。どのようなときも、私たちは必ず最上の喜びへと前進しています。だからいつも喜んでいることができるのです。 

 

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.7.26説教要約 ヨハネ 1:10-14「幕屋を張られた」         井上創牧師

「わたしたちの間に宿られた」と書かれている言葉は、「わたしたちの間に幕屋を張られた」とも訳せます。旧約聖書に度々描かれる「幕屋」とは、十戒の石版が入った箱を収めておくテントのような建物で、祭司が祈りを捧げるための場所です。それでは、幕屋ではどのような祈りが捧げられるのでしょうか。そこでは、犠牲の献げものが捧げられ、罪の赦しを願うとりなしの祈りが捧げられます。  イエス・キリストは、わたしたちの罪が

 
 
 
2026.7.19説教要約 ルカ 20:9-19 「ぶどう園の農夫」         井上創牧師

律法学者たちも祭司長たちも、自分たちは民衆の味方であり、神さまのために働いているのだという思いがあったことでしょう。だから、イエスさまのたとえ話を聞いたときには「わたしたちは農園の主人の僕としてたとえられている」と思ったのではないでしょうか。また、民衆はたとえ話の結末に気を取られ、ぶどう園の収益と権利が他者に奪われることに対して「そんなことがあってはなりません」と言っているのではないでしょうか。

 
 
 
2026.7.12説教要約 ヨハネ 4:46-54「帰りなさい」           井上創牧師

イエスさまのなさる奇跡のわざはどれも素晴らしいもので、感動を覚えます。しかし、わたしたちはこころの奥底では「それならば、なぜわたしの祈りは聞かれないのか」「今こそ奇跡が必要なのに」と思ってはいないでしょうか。そういうわたしたちの思いを知って、イエスさまは「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と、わたしたちの深い罪を憐れんでくださいます。  そして、息子のために家に来てほし

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page