top of page

2024.1.21説教要約 ローマ 2:1-16「神は正しく裁く」

  • 2024年9月11日
  • 読了時間: 2分

旧約の昔から、聖書の民は神さまの正しい裁きが行われる事を切望していました。この民は、大国から支配され、虐げられる歴史の中で、自分たちを解き放ってくれる救い主の到来を信じていたのです。しかし、民はやがて、裁く者である神さまの存在を無視して、自分たちが裁く者となり、律法に忠実であるかどうか、互いを裁き合い始めました。

 そのようにして罪を重ねるわたしたちですが、神さまは裁きを行わず、慈愛と寛容と忍耐をもってわたしたちに接してくださいました。もし、裁きが行われれば、わたしたちの誰もその怒りから逃れることができないからです。そこにはユダヤ人もギリシア人(異邦人)もありません。もし、神さまが御心を行うとなれば、全ての者が等しく裁かれることになるのです。

 なぜなら、ユダヤ人には律法が与えられ、それを守るようにと教えられていますが、異邦人もまた、それぞれの心に「律法の命じるところ」のことが記されているからです。それは、わたしたち被造物の誰もが自然と与えられ、身に受けている感情であり、たとえば「神を敬う」ということであり、「隣人を愛する」ということなのでしょう。そして、この「律法の命じるところ」から遠く離れるなら、わたしたちはみな等しく裁かれるのです。

 しかし、わたしたちは裁かれるなら、キリスト・イエスを通して裁かれます。それによって、罪が贖われ、赦された者として、その場に立つことができると約束されているのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.7.5説教要約 Ⅰコリント 3:10-22 「あなたがたが神殿」        井上創牧師

わたしたちはイエス・キリストを土台にして、それぞれに建物を建てていきます。これらは金でできていたり、藁でできていたりしますが、それらは優劣がつけられるものではありません。たとえ、わたしたちが日々積み上げていく証しが燃え尽きて、消えてしまったように見えても、それがキリストを土台としているのであれば、火によって精錬されたもののように、その救いは確かなものとして残るのです。  なぜなら、わたしたちが建て

 
 
 
2026.6.28説教要約 マタイ 16:13-20 「岩の上の教会」          井上創牧師

イエスさまは言いました。「シモンよ、あなたはペトロ(岩)。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」。この言葉に基づき、カトリック教会は初代の教皇はペトロであるとしています。天の国の鍵とは、罪の赦しを与える権限であると考えられ、やがて教皇には絶大な権力が集中していくこととなりました。  しかし、宗教改革によって生まれたプロテスタント教会は、このような権力の集中に至る「伝統」に疑問を唱え、「聖書のみ

 
 
 
2026.6.21説教要約 ルカ 18:35-43 「見えるようになりたいのです」   井上創牧師

連れてこられた盲目の物乞いにイエスさまは問います。「何をしてほしいのか」。これは、「わたしに何ができると信じているのか」という意味なのではないでしょうか。つまり、わたしにとってイエスさまはどのようなお方なのかという、信仰の告白が求められているのです。  既に盲人はイエスさまを「ダビデの子」と呼んでいました。これは、一般的な、そして伝統的なメシアに対する尊称です。しかし、イエスさまが救い主であること

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page