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2024.1.21説教要約 ローマ 2:1-16「神は正しく裁く」

旧約の昔から、聖書の民は神さまの正しい裁きが行われる事を切望していました。この民は、大国から支配され、虐げられる歴史の中で、自分たちを解き放ってくれる救い主の到来を信じていたのです。しかし、民はやがて、裁く者である神さまの存在を無視して、自分たちが裁く者となり、律法に忠実であるかどうか、互いを裁き合い始めました。

 そのようにして罪を重ねるわたしたちですが、神さまは裁きを行わず、慈愛と寛容と忍耐をもってわたしたちに接してくださいました。もし、裁きが行われれば、わたしたちの誰もその怒りから逃れることができないからです。そこにはユダヤ人もギリシア人(異邦人)もありません。もし、神さまが御心を行うとなれば、全ての者が等しく裁かれることになるのです。

 なぜなら、ユダヤ人には律法が与えられ、それを守るようにと教えられていますが、異邦人もまた、それぞれの心に「律法の命じるところ」のことが記されているからです。それは、わたしたち被造物の誰もが自然と与えられ、身に受けている感情であり、たとえば「神を敬う」ということであり、「隣人を愛する」ということなのでしょう。そして、この「律法の命じるところ」から遠く離れるなら、わたしたちはみな等しく裁かれるのです。

 しかし、わたしたちは裁かれるなら、キリスト・イエスを通して裁かれます。それによって、罪が贖われ、赦された者として、その場に立つことができると約束されているのです。

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