説教要約 マタイ27:32-44 2023.8.27
「流れる水のように」 井上創牧師
ローマの兵士たちは長時間にわたりイエスさまに暴力を振るい、侮辱し、からかい尽くします。苦いぶどう酒を飲ませたり、目の前で服を分け合ったりすることも嫌がらせの一環に思えます。それでは兵士たちは、イエスさまにそれほどに恨みや嫌悪感を抱いていたのでしょうか。おそらくそうではありません。
軍隊はその組織的な行動のために一人一人の兵士に規律を遵守することを厳しく要求します。不自由な日常の中で兵士たちは溜まっていくストレスのはけ口を探します。それは、水が低いところへと流れていくように、自分よりも小さく弱く、低いところにいる人を目がけて流れ出していくのです。
きっと祭司長や長老たちも、周囲の人から立派な人物と思われようとして、律法を守ることや品行方正でいることを自分自身に課していたことでしょう。それは軍隊と同じようなストレスに満ちた日々であったことでしょう。あるいは、イエスさまと一緒に十字架についた盗賊たちはどうでしょう。もう死ななければならない。その不自由さの中で、おそらく彼らは自分よりも無様に死んでいく相手を求めたのです。
この世界で全てのストレスの流れ込んだ澱みのようなところに十字架は立っています。それは、不条理に打ちのめされ、不当な扱いを受けてうずくまっている人々とどこまでも共にいようとして神さまが選んだ道でした。わたしたちを一人にしないためにイエスさまはそこに来てくださったのです。
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