top of page

2023.8.13説教要約 マタイ27:1-14

  • 2023年8月26日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ27:1-14           2023.8.13

「生きるにしても、死ぬにしても」  井上創牧師


イエスさまは裁判の間は無言です。神であるイエスさまが口を開けば人々の罪が露わにされ、裁きの結果として全ての人が滅びに至らなければならなくなります。イエスさまはそれを望まれなかったのではないでしょうか。だから、無言を貫いたのかもしれません。


あるいは、イエスさまはユダに寄り添おうとされたのかもしれません。ユダは自分のしたことを後悔し、何とか事態を好転させようとしますが、機会を与えてもらえず、絶望の内に死を選びました。なぜ凶行に及んだのか、その心中を誰に知らせることもなく死んでいったのです。このように人知れず死ななければならなかった者の一人さえも神さまは忘れることはないのだということを、ユダと同じ境遇に身を置かれたイエスさまは沈黙によって伝えようとしておられるのでしょう。


ローマの信徒への手紙14章において、パウロは「わたしたちの生も死も主のため、生きるにしても死ぬにしても主のもの」と言っています。これは神さまに従順に生き、粛々と死を受け入れるということではなく、わたしたちのどのような生き方も、また死も、それがたとえユダのようなものであったとしても、神さまが愛の証へと変えて用いてくださるということなのではないでしょうか。そうであれば、かつて戦場で無言で散っていった命さえもイエスさまの慈しみの内にあるという慰めの報せを、わたしたちは聞くことができるのではないでしょうか。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.5.17説教要約 エフェソ 2:14-22「わたしたちは主の住まい」     井上創牧師

パウロはエフェソ教会の中に起こった対立・分裂の危機に対して、和解を勧めるためにこの手紙を書いたのでしょう。それでは、どのようにして異なる思いを抱く者たちが一つになることができるのでしょうか。  パウロの語っていることをよく聴いてみると、まず二つのものが一つになってから、「敵意を滅ぼす」「律法を廃棄する」「平和を実現する」という順番になっていることがわかります。敵意が消え、対立の原因になっている律法

 
 
 
2026.5.10説教要約 ヨハネ 20:24-31「わたしの神よ」          井上創牧師

イエスさまが復活して弟子たちのところに来たとき、トマスだけがその場にいませんでした。後になって、復活したイエスさまに会ったと仲間たちに聞かされたトマスは、「わたしは決して信じない」と口にします。しかも、「この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ」と。  これは本気で言っていたわけではないでしょう。実際にそういうことがしたかったのではなくて、自分のいないときに来たイエスさまに腹を立て

 
 
 
2026.5.3説教要約 マタイ 11:25-30「幼子を待つ」           井上創牧師

イエスさまは神の国の秘密について、神さまはそれを「幼子のような者にお示しになりました」と語ります。知恵ある者、賢い者が自分の力で難局を乗り切ろうとするのに対して、この「幼子のような者」とは、親を信頼する子どものように、神さまを信頼して委ねる者を意味しているのではないでしょうか。そのような者たちにはこの世界で起こるさまざまな事柄の中に神さまの御業を見出すことができるのでしょう。  この世界には自力を

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page