説教要約 マタイ26:17-25 2023.7.9
「皆つまずく」 井上創牧師
十字架につく前の晩、弟子たちと食事を共にしたイエスさまはこう言いました。「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」そこで、読者であるわたしたちは、「裏切るのは誰か」「イエスさまが十字架についたのは誰のせいか」「犯人は誰なのか」、裏切り者探しの視点をもって続きを読んでいきます。そうして、ユダを探し当てるのです。ここに、わたしたちの罪の姿があります。
旧約の時代から、私たち人間は自分にとって不都合な事態が起こると、「何が悪かったのか」その原因を追求し、対処しようとしてきました。しかし、犯人探しの結果、アダムは木の実を食べたことをエバのせいにし、カインは自分の献げものが選ばれなかったために生じた「行き場のない怒り」の捌け口をアベルに向けました。両者ともに、原因探しをして、やるせない自分の気持ちを解決するために犠牲になる者を求めたのです。
マタイによる福音書において、イエスさまと同じ鉢に食べ物を浸す者はついに現れません。他の弟子と同様に「まさかわたしのことでは」と問うユダに「それはあなたの言ったことだ」と答えるイエスさま。十字架の原因となった犯人を探し当て、「わたしではなかった」と、この犠牲によって安心してしまうわたしたち。逃れられない重荷から逃れようとして犠牲者を探す。そこにわたしたちの罪があり、この罪のまさに犠牲となって死なれたのがイエスさまであったのです。
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