説教要約 マタイ26:1-16 2023.7.2
「十字架を臨みて」 井上創牧師
今日の3つの箇所は、いずれも十字架のための準備が進められています。イエスさまの殺害を企てる祭司長や民の長老たちは、かつて神殿において権益を独占していることをイエスさまに叱られた者たちでした。2つ目の箇所では、女性の用いた香油の値段について弟子たちが言及しています。そして最後の箇所ではユダがイエスさまの身柄を売り渡しています。
富、つまり安定した営みを求めることよってイエスさまを死へと追いやろうとするわたしたちの罪の姿が繰り返し描かれているのです。
対照的に描かれているのが名も無き一人の女性です。彼女が見ているのは、「いかに効率的か」「何がより大きな効果を生むか」ということではありませんでした。最も近くに侍っていたはずの弟子たちでさえ気が付かなかった、十字架を臨み、死へと向かおうとしているイエスさまの苦しみ、悩み、さびしさに彼女は気が付いて、寄り添おうとしたのではないでしょうか。
塗油は死に行く者への別れの儀式であり、頭に油を注ぐことは「この方こそ救い主である」という宣言でもありました。イエスさまが言うように、「貧しい人、傷ついた人」は探しに出ればすぐにみつかるのです。そういう人たちへの施しも大切なことですが、わざわざ探しに行くまでのなく、わたしたちのすぐ側で、今まさに何らかの痛みを負っている人がいるのではないでしょうか。そこにイエスさまがいます。その痛み、わたしのために用意された救いに気が付くことができたらと願うのです。
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