説教要約 ヨハネ20:19-23 2023.6.18
「赦せば平和」 井上創牧師
イエスさまには、復活してでも弟子たちに伝えたい思いがあったのでしょう。それは「あなたがたに平和があるように」ということ。繰り返されていることから、これは単なる挨拶の言葉ではないと思えます。「平和」とは、争いのないこと、他者とのすれ違いや、自身の内に思い患いのないこと。それだけではなく、魂の平安、苦難の中にあっても「わたしは神さまとのつながりの内にあるのだ」という信仰が与えられること。それがわたしたちの求める平和なのではないでしょうか。
この平和のために、イエスさまはわたしたちを「世に遣わす」と言います。「世」とは雑然・混沌としている状態を意味しています。そこに神さまの創造の秩序としての「愛」を輝かせるために、イエスさまは遣わされてきました。わたしたちを同じように世に遣わされるにあたり、イエスさまは「赦す」ことの大切さを説いています。「赦す」とは、そこにある罪やわだかまりを「どうでもいいことにする」ことではありません。もう関心がなくなってきたから、時効だからというのは「赦す」ことではないのです。そこにある痛みと強く関係を結び、自分のものとして受け止めていくプロセス、これが「赦す」ということです。
十字架は、イエスさまがわたしたちとの関係の中に最も深く飛び込んでくださった証です。わたしたちも遣わされていく世にあって、無関心に生きるのではなく、そこここにある痛みを自らのものとし、受け止め、赦していけたらと願うのです。
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