説教要約 マタイ24:45-51 2023.5.7
「あなたたちの手に委ねられる」 井上創牧師
今日のたとえ話で「よい僕」と呼ばれているのは、「使用人たちに時間通り食事を与えよ」という主人からの命令に忠実であった者です。一方で、「悪い僕」と呼ばれているのは、使用人仲間達に供するはずだった食事を自分のために用いてしまう者でした。つまり、主人である神さまは、終わりの時には、隣人に対するわたしたちの態度をご覧になり、裁かれるのでしょう。
ここで言われている「食事」から連想されるのは、聖餐式です。「礼拝(サービス)」という言葉は、「給仕(サーブ)」に由来しています。十字架につく前の晩に、イエスさまがパンを分けて弟子たちに配られた(給仕した)、その場面を記念したものが礼拝です。つまり聖餐式とは、わたしたちが他者に仕える者となるようにという教えがその根本になっているのです。
そして、拡大解釈すれば「仕える」という僕としての働きは、隣人に対してだけではないでしょう。旧約聖書の創造物語によれば、神さまは人間を創造した際に、既に造っておられた魚や鳥や動物たちを「支配せよ」と命じておられます。この「支配する」という言葉は、それを自分の勝手にしていいということではありません。神さまが造られたこの世界に生きるものたち(他の使用人たち)を、御心のままに保持していく(時間通りに食事を与える)ということです。
わたしたちは傲ることなく、恐れることなく、ただ忠実に主人の思いに応えていく、よい僕であれたらと願うのです。
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