top of page

2023.5.7説教要約 マタイ24:45-51「あなたたちの手に委ねられる」

  • 2023年5月27日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ24:45-51            2023.5.7

「あなたたちの手に委ねられる」   井上創牧師


今日のたとえ話で「よい僕」と呼ばれているのは、「使用人たちに時間通り食事を与えよ」という主人からの命令に忠実であった者です。一方で、「悪い僕」と呼ばれているのは、使用人仲間達に供するはずだった食事を自分のために用いてしまう者でした。つまり、主人である神さまは、終わりの時には、隣人に対するわたしたちの態度をご覧になり、裁かれるのでしょう。


ここで言われている「食事」から連想されるのは、聖餐式です。「礼拝(サービス)」という言葉は、「給仕(サーブ)」に由来しています。十字架につく前の晩に、イエスさまがパンを分けて弟子たちに配られた(給仕した)、その場面を記念したものが礼拝です。つまり聖餐式とは、わたしたちが他者に仕える者となるようにという教えがその根本になっているのです。


そして、拡大解釈すれば「仕える」という僕としての働きは、隣人に対してだけではないでしょう。旧約聖書の創造物語によれば、神さまは人間を創造した際に、既に造っておられた魚や鳥や動物たちを「支配せよ」と命じておられます。この「支配する」という言葉は、それを自分の勝手にしていいということではありません。神さまが造られたこの世界に生きるものたち(他の使用人たち)を、御心のままに保持していく(時間通りに食事を与える)ということです。


わたしたちは傲ることなく、恐れることなく、ただ忠実に主人の思いに応えていく、よい僕であれたらと願うのです。


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.7.26説教要約 ヨハネ 1:10-14「幕屋を張られた」         井上創牧師

「わたしたちの間に宿られた」と書かれている言葉は、「わたしたちの間に幕屋を張られた」とも訳せます。旧約聖書に度々描かれる「幕屋」とは、十戒の石版が入った箱を収めておくテントのような建物で、祭司が祈りを捧げるための場所です。それでは、幕屋ではどのような祈りが捧げられるのでしょうか。そこでは、犠牲の献げものが捧げられ、罪の赦しを願うとりなしの祈りが捧げられます。  イエス・キリストは、わたしたちの罪が

 
 
 
2026.7.19説教要約 ルカ 20:9-19 「ぶどう園の農夫」         井上創牧師

律法学者たちも祭司長たちも、自分たちは民衆の味方であり、神さまのために働いているのだという思いがあったことでしょう。だから、イエスさまのたとえ話を聞いたときには「わたしたちは農園の主人の僕としてたとえられている」と思ったのではないでしょうか。また、民衆はたとえ話の結末に気を取られ、ぶどう園の収益と権利が他者に奪われることに対して「そんなことがあってはなりません」と言っているのではないでしょうか。

 
 
 
2026.7.12説教要約 ヨハネ 4:46-54「帰りなさい」           井上創牧師

イエスさまのなさる奇跡のわざはどれも素晴らしいもので、感動を覚えます。しかし、わたしたちはこころの奥底では「それならば、なぜわたしの祈りは聞かれないのか」「今こそ奇跡が必要なのに」と思ってはいないでしょうか。そういうわたしたちの思いを知って、イエスさまは「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と、わたしたちの深い罪を憐れんでくださいます。  そして、息子のために家に来てほし

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page