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2023.3.12説教要約 マタイ23:1-36「ひとりの先生」

  • 2023年4月18日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ23:1-36           2023.3.12

「ひとりの先生」          井上創牧師


マタイが生きた初期教会の時代、ナザレ派と呼ばれ、イエスをキリストだと信じる一派は、ユダヤ教の中心グループと対立していました。この中心グループがファリサイ派でした。マタイはただ単にファリサイ派や律法学者たちへの批判を繰り返しているだけではありません。これらの言葉を通して、偽善とは何かを初期教会の人々、そしてわたしたちに教えているのです。


並べ立てられているのは言行不一致、本音と建て前の使い分け、権威を求める傲慢など。そういったことは確かに「善」と呼べることではありません。しかし、こういった行いや態度の根底にあるのは、22章にあるような「神を愛し、隣人を愛する」ことから離れてしまう「罪」の力でした。


この罪の態度の反対側にイエス・キリストがいます。重荷を負わせるのではなく、共に背負う。(⇔4節)弟子たちの足を洗うほどに自らを謙らせる。(⇔6節)「こうするべき、こうあるべき」という道徳的な有り様を超えて、時々に沸き起こる憐れみの心に正直に従っていく。(⇔25節)それがキリストです。


教師とはわたしたちを導く者、行くべき道を指し示す者です。わたしたちが教師とするキリストは、先頭に立って神さまを仰ぎ、隣人の足下にひざまずかれる方です。キリストに従う者の歩む道は、自分を磨き高みへと向かう道ではありません。自分を貧しくして、低くされている人たちの中に生きる師であるキリストを追い求めていく道なのです。

 
 
 

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