説教要約 ルカ 1:5-25 2023.12.3
「久しく待ちにし」 井上創牧師
聖所で天使を見たザカリアは、「不安になり、恐怖の念に襲われた」とあります。彼が神さまに対して引け目を感じていたことが、7節の「しかし」という言葉からわかってきます。この引け目の故に、彼は天使のお告げを信じ切ることができないのでしょう。とは言え、ザカリアの口を利けないようにするというのは、少々行き過ぎであるようにも思えます。おそらく、天使とザカリアのこの一連のやりとりは、神さまと聖書の民の「これまで」と「これから」が重ね合わせて表されているのでしょう。
神さまに仕えることを生業としている祭司のザカリアでさえ、神さまの力が自分に及ぶことを信じ切ることができなかったのです。当時の聖書の民の間から信仰が薄れ、消えかけていたことが想像できます。天使とザカリアの出会い、それはイエスさまが聖書の民の間に立たれたことと重なります。イエスさまもまた聖書の民に受け入れられず、疑いの目を向けられるのです。そして、そのようなザカリアの態度、聖書の民の態度が招いたのが「沈黙」でした。
紀元70年のユダヤ戦争後、聖書の民は滅びたかのように思われました。しかし、イエスさまを通して、神さまのご計画の内に聖書の民は尚も用いられ続けていることが、パウロの手紙(ローマ11章)などからもわかります。ザカリアの口が後に神の栄光を賛美するものとして開かれるように、「沈黙」の先には御心に定められた喜びの時が待っているのです。
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