マリアは天使からの告知に不安を覚えたのではないでしょうか。だから、同じ境遇にあるエリサベトを訪ねようと思ったのです。そして、年配で信仰も篤いこの親戚から、励ましと希望をもらいたいと思ったのはないでしょうか。しかし、週報の表紙(先週)を見ると、マリアの足下にエリサベトがひざまずいているようです。慰めを得たいと願っていたマリアの方が、その身にイエスさまを宿したことで、却ってエリサベトを喜ばせ、力づけることとなったのです。
「身分の低い者に目を留め、高く上げ」「権力の座にある者を引き降ろす」、わたしたちの生きるこの世界とは逆の価値観によって救いの計画が進んでいく。おそらくマリアはこのときに確信をもって、神さまのなさることを祝福として受け止め、思わず賛美の歌を歌ったのです。イエスさまの霊をその身に受け入れ、宿すことで、わたしたちもまた「受ける者」から「与える者」のに変わっていくことができるのではないでしょうか。
世にあふれる「負の力」によって痛めつけられ傷つけられたわたしたちは、つい他の誰かにその痛みを擦り付けたくなってしまいがちです。そうやって、わたしの「負の力」が回り巡って世界を歪めてしまっているかもしれません。高い天から、わたしたちのところへと降りてきてくださったイエスさまの霊がこの身に満ちて、わたしたちの「負の力」を「正の力」に変えて、用いてくださいますようにと祈りたいと思います。
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