神さまのわざが自分に及ぶことを恐れ、その要求を素直に受け止めることができないマリアの姿は、旧約のモーセの召命にも重なるように思えます。しかし、果たして天使はマリアに、御子の誕生のための器となることを求めているのでしょうか。そして、マリアはそのようにして用いられることに対して「お言葉どおりこの身に成りますように」と答えているのでしょうか。
天使が最初に言った「おめでとう」とは、原語においては「喜べ!」という意味になります。驚きのあまり、喜ぶことのできないマリアに天使は、「恐れることはない」「あなたは恵みをいただいた」「その子は偉大な人になり・・・」と、これから起こることがいかに喜ばしいことであるかを説くのです。最終的にマリアは、自分の身に何が起こるのか理解も、納得もしていないのかもしれません。それでも、わからないままに神さまのわざを喜ぶことができるようにと、「お言葉どおり成りますように」との結論に至るのです。
マリアがそこに至ったのは、天使の「聖霊」のお告げを聞いたからかもしれません。聖霊はわたしたちをつなぎ止め、導き、関係を豊かにしていきます。自分と同じ境遇に身を置いているエリサベトの存在が、聖霊によってより強く示されたことで、マリアを励まし勇気づけたのではないでしょうか。わたしたちにもまた神さまのみわざが及ぶことがあるでしょう。その際には、この聖霊の力に委ねていくことができたらと願うのです。
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