top of page

2023.10.29説教要約 出エジプト4:1-9 マタイ12:38-40「しるしを欲しがる」

説教要約 出エジプト4:1-9 マタイ12:38-40    2023.10.29

「しるしを欲しがる」        井上創牧師


モーセに与えられた神さまの「しるし」は、後にエジプトの王であるファラオを説得するために、更に大きな規模になって表れます(7章以降)。天変地異のようなその力は、しかし、エジプトの人々にとっては災いであり、悲劇でした。


律法学者たちやファリサイ派の人々がイエスさまに「しるし」を求めたのは、単にイエスさまが救い主であることを疑ったというだけではないのかもしれません。自分たちに注がれている神さまの愛を疑い、昔エジプトから民を解き放つために神さまが行ったように、ローマ帝国からユダヤの民を解き放つ災害のような「しるし」をも求めていたのではないでしょうか。イエスさまは、そのような「しるし」の求めを退けられました。それどころか、死の際においては、あらゆる天上のわざをその身に帯びることを止めて死ぬことによって、御自身が神さまの愛を表す「しるし」となられたのです。


ヨナの「しるし」は、死の世界に三日三晩囚われていること。十字架によって全ての人の罪を贖うことや、復活によって死に打ち勝つこととは別に、ちゃんと死ぬことが「しるし」だとイエスさまは言うのです。これは、「しるし」が、私たちの認識を凌駕するような超常的なわざを意味するのではないということ。救いの「しるし」は、やがて死に行くわたしたちに寄り添おうという神さまの思いやり、他者の痛みを自分のものとして感じることによって表されていくのだということなのでしょう。

 

最新記事

すべて表示

2024.11.3説教要約 コロサイ 2:20-3:4 「キリストと共に」

パウロは読者に対して、「あなたがたは死んだ」「復活した」と、それがまるで既に起こったことのように言います。彼独特の表現です。彼は終末におけるキリスト再臨の約束が確かなものだと信じているので、死や復活などの未来の出来事が今まさに身に起こっている出来事として受け止めているのです...

2024.10.27説教要約 フィリピ 1:12-30「キリストにある生」永瀬克彦牧師(上諏訪教会)

「いつも喜んでいなさい」(Iテサ5:16)。パウロはまさにこの姿を体現しています。パウロは獄中からフィリピの信徒に向けて手紙を書いています。普通であれば、「助けてほしい」「励ましてほしい」と書くでしょう。しかし、パウロは反対にフィリピの人たちを励ましています。辛いのをぐっと...

2024.10.20説教要約 ローマ 15:22-33「祈り合う者たち」

一説では、パウロはいわゆる第三次宣教旅行の際にコリントに立ち寄り、そこでローマの信徒への手紙を書いたと考えられています。そこから、まずはエルサレムへと向い、マケドニア州やアカイア州で集めた募金を届け、やがてローマの教会の人々に会うときには、「キリストの祝福をあふれるほど持っ...

Comments


bottom of page