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2023.1.29説教要約 マタイ21:18-22 「道端の木」

  • 2023年2月7日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ21:18-22           2023.1.29

「道端の木」            井上創牧師


枯れたいちじくの木はエルサレム神殿を表していると考えられます。本来は神さまの名を置くエルサレムの神殿は恵みと祝福が満ちているはずでした。しかし実際は、癒しを求める者たちが放置され、赦しを求める者たちから搾取しようとする輩がはびこっていました。豊かに茂っているように見えるこの都は、何の実りも生んではいなかったのです。紀元70年、都はいちじくの木が枯れるように滅びてしまいます。


ところで、イエスさまは、この「いちじくの木を枯らす」という奇跡を最後に、十字架の死に至るまで一切の奇跡を行いません。もしかしたら、道端の木を通してイエスさまは自分の身に起こることを指し示されたのではないでしょうか。


「万能の神が、その力を放棄した」。奇跡から最も遠いところにあるのが十字架の死です。偉大な力を持つからこそ神として崇められる。その神が力を捨て去る。そのようなことがあるだろうか。それは、山が海に飛び込むことよりもあり得ないことでした。わたしたちにとって「あり得ない」こと、つまり奇跡のその最たるものが十字架の出来事なのです。


信仰とは、神さまの御心に委ねることです。神さまは、わたしたちがあり得ないと思えるご計画を成し遂げられました。わたしたちが信じて、求め、祈るのは、この「御心がなる」ことです。どんなにあり得ないと思えることも、それが御心ならばなる。それが十字架を信じる者の信仰なのです。

 
 
 

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