説教要約 マタイ18:6-14 2022.9.4
「小さな者の一人」 井上創牧師
もしかしたら、わたしたちは「つまずき」が外から来ると思い込んでしまっていないでしょうか。8節、9節を見ると、わたしたち自身がわたしたちをつまずかせる原因となっていることがわかります。7節の「世」とは、この地上世界のことであると同時に、雑多な人の群れを指します。わたしの中にも、雑然としたわたしの群れがあり、わたしをつまずかせるわたしがその中に潜んでいるのでしょう。
そういう様々なわたしの群れの中に、小さな者となったわたしがいます。この「小さな者」とは、大勢のわたしが「いらない、無駄だ、恥ずかしい、後ろめたい」と切り捨てて、隅に追いやってしまった「あの日のわたし」です。そして、そういう小さなわたしを神さまは迷子になった羊を探すように、呼び求めてみつけ、連れ帰り、その帰還を喜んでくださるのです。
光は闇を照らします。それは、暗い世相、絶望的な状況の中で見えるかすかな希望の光です。神さまがどんなときにもわたしたちを見捨てないという約束の光です。と同時に、光はわたしたちが隠しておきたかったもの、見たくないと思って隅の暗闇に捨て去ったものも、照らしだし、明らかにします。
イエスさまがわたしたちの深いところに降り、罪の闇の中から迷子になっていた一匹の羊を見つけ出し、それを受け止め、愛してくださる。わたしたちが勇気を出して、その探し出されたわたしと向かい合うとき、天の国は喜びで満たされるのです。
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