説教要約 マタイ19:13-30 2022.9.25
「どれだけ積み上げても」 井上創牧師
旧約的な感覚からすれば、神さまからの祝福を具体的にあらわしたものの一つが財産でした。神さまが自分の「正しさ」を財産によって証明してくれている。だからそれを手放せない。施すということは、単に貧しくなるだけではなく、「正しさ」を捨て去る覚悟をするということでもあったのです。
この「施すように」という勧めは、「施される者になるように」ということでもあるのでしょう。わたしたちは自分を人より高いところに置きたいと思っていないでしょうか。施されるのはみじめで、施すのは誇らしいと思ってはいないでしょうか。
「お金もちが天の国に入るのが難しい」というのは、単にお金のだけの問題でだけではないのです。自分を作り上げ、自分を支えてきたもの。家柄、肩書き、地位、名声、才能、努力、そして常識や正しさ。そういったものを失うことを、わたしたちも恐れているのではないでしょうか。それらを強く握りしめている間は、受けることができないのです。祝福を受けるときには手放さなければならない
たくさん献げ、施す。それが「天の国に富を積む」ということではありません。むしろ何も持っていないわたしが、素のままで、誇るものなしに祝福されていると信じる。その信頼が神さまとの間に積み重ねられていく。それが天に富を積むということなのです。親の愛によって招かれてきたこどもたちのように、わたしたちもからっぽの手を天に伸ばしましょう。
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