説教要約 ローマ12:9-21 2022.8.7
「できれば、せめてあなたがたは」 井上創牧師
古代においては隣村の食料を略奪する程度のことを目的としていた戦争も、現代においては巨大な富の奪い合いになっています。転がり続け、膨れ続けていくことを宿命づけられた貨幣経済は、流通の範囲を拡大する過程で、他の経済圏とぶつかり合い戦いを生み出します。このようにして起きる戦争を、わたしたちはどのようにして止めることができるでしょうか。
もし神さまがその御腕を振るって、この世界から戦争を一掃してくださるなら話は早いのでしょうが、神さまはそのようにはなさいませんでした。わたしたちが平和に至るために神さまが示してくださったのは、ただイエス・キリストだけでした。
イエスさまは十字架においてわたしたちの思いを全て受け止め、愛し、赦してくださいました。今日の聖書箇所は「しなければならない」ことの徳目ではありません。イエスさまご自身がそのようになさったこと、そのようにして生きたその姿が並べられているのです。それは限られた時代のたった一人のしたことであったかもしれません。しかし、それが今や世界中に宣べ伝えられています。隣から隣へと、愛を伝えていく。神さまはそのようなやり方で救いを世にもたらしてくださいました。
わたしたちにはこの世界を変えてしまうほどの大きな力はありません。しかし、できればせめてわたし一人からでも。隣から隣へ愛を伝えるというやり方で、希望を絶やさずに平和の種を蒔き続けていけたらと願うのです。
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