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2022.8.28説教要約 マタイ18:1-5「福音を信じる」

  • 2022年9月6日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ18:1-5            2022.8.28

「福音を信じる」          井上創牧師


弟子たちの関心事は、他者との比較の上で「誰が一番か」ということでした。イエスさまは一人の子供を呼び寄せ、「心を入れ替えて子供のようにならなければならない」と弟子たちに勧めます。この「子供のように」という表現から、子供の性質を予想し、「誰がどれほど子供のようであるか」と比較し合うことは、おそらくイエスさまの本意ではないでしょう。「自分を低くして、この子供のように」という言葉も、相手よりも身を低くする、相手より謙るということとして受け取ってしまえば、やはり他者との比較になってしまうのではないでしょうか。


福音書において「子供」そして「親」という関係は、イエスさまと神さまの関係として置き換えて語られることがよくあります。イエスさまはきっと弟子たちに、神さまを前にしたとき、子供のようになるようにと語っておられるのでしょう。


本来、赤ちゃんは親への絶対の信頼を持って生まれてきます。泣けば応えてくれることを全身全力で信じているのです。そして、親は子供が立てば、ただそれだけのことで喜び、子供が言葉を発すれば、感動で胸を一杯にするのです。このような、信頼と喜びの関係を、神さまとの間にもう一度取り戻すことが、天の国においては重要なのです。親は子供を他者と比較して愛するわけではありません。子供もにとっても親は無二の相手です。 


わたしたちはみんな神さまの子供です。だからこそ、互いの存在を喜び合い、受け入れ合うことができるのです。

 
 
 

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