top of page

2022.8.21説教要約 マタイ17:24-27「世を愛された主」

  • fujimikougenchurch
  • 2022年9月6日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ17:24-27           2022.8.21

「世を愛された主」         井上創牧師


律法には(出エジプト記30章)、ユダヤ人の成人男性は神殿(幕屋)のためにお金を払うことが定められていました。神殿税を払うようにという要求は不当なものではなかったのです。 しかし、地上の王の子が王に税金を払わなくてもいいように、神の子である者たちは神さまにお金を払わなくてはいいのではないかというイエスさまの言葉も、その通りだと思えます。


そこでイエスさまは「つまづかせないように」との配慮から、神殿税を払うことを選ぶのです。これは、神の子であるという自らの地位に固執せずに、へりくだり、身を低くして世の人々と同じになられたイエスさまの思いやりであり、愛であると言えるのではないでしょうか。


献げものである銀貨をくわえた「最初の」魚は、汚れなき初子、復活の初穂としてのイエスさまを表わしているのでしょう。イエスさまはご自身を神さまへの献げものとすることで、わたしたちの「命の贖い(出エジプト記30章)」となってくださいました。そのため、これ以降、わたしたちは自分の罪のために神さまにお金を献げる必要はなくなったわけです。


今わたしたちが献げるのは自分自身です。ペトロが得意である漁をすることによって銀貨を得たように、わたしたちもそれぞれの賜物を用いることで、贖い主であるイエスさまがそれらを神さまの喜ぶ献げものへと変えてくださるのです。日々の糧を与えてくださる神さまに感謝の思いを献げましょう。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2025.12.7説教要約 ルカ 1:39-56「主がおっしゃったこと」

マリアは何故エリサベトを訪ねたのでしょう。ひとつには、天使が告げたできごとを確かめたかったからかもしれません。実際にエリサベトが懐妊している姿を目にして、自分の身に起こることを確信したかったのでしょう。あるいは、マリアは不安だったのかもしれません。これから起こることを一人で受け止めることができず、自分と同じ境遇に置かれている人と一緒にいることで安心したかったのでしょう。 さて、もうひとつ。もしかし

 
 
 
2025.11.30説教要約 ルカ 1:26-3「お言葉どおり、この身に成りますように」

聖母と呼ばれるマリアは、特別な信仰や力を持っていたのでしょうか。聖書ではまず、何でもない「おとめ」としてマリアを紹介しています。これは、マリアがわたしたちと同じ一人の信仰者であり、そのモデルとなっているということなのでしょう。 天使ガブリエルはマリアに「主があなたと共におられる」と語りかけます。マリアは戸惑い、考え込みます。天使は続けて、神が生まれてくるイエスにダビデの王座をくださると告げます。マ

 
 
 
2025.1.12説教要約 ルカ 17:11-19 「いやされた人」 

重い皮膚病を患っている十人に、イエスさまは「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と言います。当時は、このような病気にかかって治ったとしても、祭司たちがそれを確認し許可しなければコミュニティーに帰ることはできない決まりになっていました。十人は、自分の体が治るのを待たずに...

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page