top of page

2022.7.3説教要約 マタイ15:29-39「満たされて散らされる」

  • 2022年7月17日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ15:29-39           2022.7.3

「満たされて散らされる」      井上創牧師


山に登ったイエスさまのもとに、群衆は多くの病人を連れてきて、その足下に横たえます。イエスさまはこの人々を癒されるのですが、それは群衆の思いに応えてのものでした。イエスさまが「かわいそうだ」と、積極的に御自分の思いを露わにされているのは、お腹を空かせた人たちを見た時です。


わたしたちの傷は癒されても、残りの人生の日々において、またどこか傷を得ることがあるでしょう。病も同じことです。治っても、他の箇所が病むかもしれないのです。イエスさまが食べるものの心配をしたのは、「食べることは生きること」だからなのではないでしょうか。傷があっても、病があっても、わたしたちは食べて生きなければなりません。どのようなときでも、わたしたちはイエスさまから食べることができているかどうかと心配され、生きていくようにと願われているのです。


では、癒しには意味がないのでしょうか。そうではありません。ヨハネ9章で、わたしたちが傷や病を得るのは「そこに神さまの栄光が現れるためだ」とイエスさまは言います。今日の31節でも、癒された人々を見て群衆が神さまを賛美しています。


同じように、多くの人に食事が配られて満たされたという奇跡も、わたしたちが神さまを賛美するためのものだったのでしょう。そうして満たされた群衆をイエスさまは最後に解散させられます。それは、散らされたそれぞれの先で、わたしたちが生きた命の糧として、だれかを満たす者となるためなのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.5.17説教要約 エフェソ 2:14-22「わたしたちは主の住まい」     井上創牧師

パウロはエフェソ教会の中に起こった対立・分裂の危機に対して、和解を勧めるためにこの手紙を書いたのでしょう。それでは、どのようにして異なる思いを抱く者たちが一つになることができるのでしょうか。  パウロの語っていることをよく聴いてみると、まず二つのものが一つになってから、「敵意を滅ぼす」「律法を廃棄する」「平和を実現する」という順番になっていることがわかります。敵意が消え、対立の原因になっている律法

 
 
 
2026.5.10説教要約 ヨハネ 20:24-31「わたしの神よ」          井上創牧師

イエスさまが復活して弟子たちのところに来たとき、トマスだけがその場にいませんでした。後になって、復活したイエスさまに会ったと仲間たちに聞かされたトマスは、「わたしは決して信じない」と口にします。しかも、「この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ」と。  これは本気で言っていたわけではないでしょう。実際にそういうことがしたかったのではなくて、自分のいないときに来たイエスさまに腹を立て

 
 
 
2026.5.3説教要約 マタイ 11:25-30「幼子を待つ」           井上創牧師

イエスさまは神の国の秘密について、神さまはそれを「幼子のような者にお示しになりました」と語ります。知恵ある者、賢い者が自分の力で難局を乗り切ろうとするのに対して、この「幼子のような者」とは、親を信頼する子どものように、神さまを信頼して委ねる者を意味しているのではないでしょうか。そのような者たちにはこの世界で起こるさまざまな事柄の中に神さまの御業を見出すことができるのでしょう。  この世界には自力を

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page