top of page

2022.7.31説教要約 ヨハネ11:17-44「ラザロの葬り」

  • 2022年8月15日
  • 読了時間: 2分

説教要約 ヨハネ11:17-44           2022.7.31

「ラザロの葬り」          井上創牧師


今日の物語に登場するのはマルタやマリアなど、ラザロを葬る側の人々です。ここから、葬りを必要としているのは、死者ではなく遺された者たちなのだということが読み取れるのではないでしょうか。葬りを行う遺された者たちにイエスさまはどのように関わってくださったのでしょうか。


まず、イエスさまは「教え」ます。マルタとの問答の中で、「死で命は終わりにはならない」「死を超える力を信じて生きていく」ことを教えてくださいます。死に勝たれたキリスト。キリスト教の葬儀においては、このことが必ず語られるのです。


次にイエスさまは「涙を流し」ます。これはマリアやユダヤの人々のように、死による永遠の別れを悲しむ涙ではありません。その先に命が続くことを信じていても、遺される者の心には寂しさややるせなさが募るのです。しっかりと自分の感情をみつめ、向かい合う。これで終わりではない、新しく始まる関係に生きていく決断をする。このような心の整理のためにも、キリスト教の葬儀は天と地をつなぐ「礼拝」として行われるのです。


最後に、イエスさまは「祈り」ます。イエスさまが願うことは必ず適えられる。そのしるしとして、イエスさまは人々の目の前でラザロを生き返らせます。ラザロだけが特別なのではありません。イエスさまが望まれる「時」がそれぞれに備えられているのです。また顔と顔を合わせて会うことができる。この希望を胸に、わたしたちは祈りの内に葬りを行うのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.3.1説教要約 ルカ 19:1-10  「救いがこの家を訪れた」      井上創牧師

ザアカイは木に登ってまでもイエスさまを見たいと願いました。一つ前の物語、目の見えない人が周囲の制止を振り切ってイエスさまを求めて叫び続けた心情と重なるように思えます。ザアカイもまた自分の在り方に揺らぎを覚え、心の奥底では助けを求めていたのではないでしょうか。  ザアカイはイエスさまから「あなたの家に泊まりたい」と言われたときに喜びます。地位の高い人や高名な人が集落を訪れたとき、その人を泊めるのはそ

 
 
 
2026.2.15説教要約 ヨハネ 11:17-27「このことを信じるか」       井上創牧師

亡くなったラザロの姉妹であるマルタは、「死者が終わりの日に復活する」という教えを知っていました。「イエスさまが神さまに願うことは、かなえられる」ことも知っていました。おそらく、マリアも知っていたでしょう。しかし、実際に兄弟の死を前にしたとき、彼女たちの心は悲しみに支配されていました。そこでイエスさまはマルタに問うのです。「信じるか」と。  わたしたちは証拠を見せられたり、証明してもらえれば、安心し

 
 
 
2026.2.8説教要約 ネヘミヤ 2:11-20「神さまのご計画」         井上創牧師

ネヘミヤは故郷であるエルサレムの町が荒廃していることを聞いて悲しみました。かつて大国によって攻め滅ぼされたときのまま、城壁も門も壊れた状態で放置されているというのです。  ネヘミヤは仕えていた王から帰国の許可をもらい、更には復興のための支援を受けて、故郷へ向いました。彼はしかし、用心深く一人で町に入り、修復が必要な箇所の視察も夜の内に行いました。復興を良く思わない人たちが町の内外にいたからです。

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page