説教要約 ヨハネ11:17-44 2022.7.31
「ラザロの葬り」 井上創牧師
今日の物語に登場するのはマルタやマリアなど、ラザロを葬る側の人々です。ここから、葬りを必要としているのは、死者ではなく遺された者たちなのだということが読み取れるのではないでしょうか。葬りを行う遺された者たちにイエスさまはどのように関わってくださったのでしょうか。
まず、イエスさまは「教え」ます。マルタとの問答の中で、「死で命は終わりにはならない」「死を超える力を信じて生きていく」ことを教えてくださいます。死に勝たれたキリスト。キリスト教の葬儀においては、このことが必ず語られるのです。
次にイエスさまは「涙を流し」ます。これはマリアやユダヤの人々のように、死による永遠の別れを悲しむ涙ではありません。その先に命が続くことを信じていても、遺される者の心には寂しさややるせなさが募るのです。しっかりと自分の感情をみつめ、向かい合う。これで終わりではない、新しく始まる関係に生きていく決断をする。このような心の整理のためにも、キリスト教の葬儀は天と地をつなぐ「礼拝」として行われるのです。
最後に、イエスさまは「祈り」ます。イエスさまが願うことは必ず適えられる。そのしるしとして、イエスさまは人々の目の前でラザロを生き返らせます。ラザロだけが特別なのではありません。イエスさまが望まれる「時」がそれぞれに備えられているのです。また顔と顔を合わせて会うことができる。この希望を胸に、わたしたちは祈りの内に葬りを行うのです。
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