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2022.7.17説教要約 マタイ16:13-28「備えられた言葉」

  • 2022年8月6日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ16:13-28           2022.7.17

「備えられた言葉」         井上創牧師


カイサリアという街には、異教の神々の神殿が数多く建っていました。この街の中で、「あなたは生ける神の子です」とペトロは告白します。イエスさまを「生きた」神と呼ぶのは、異教の神々は「死んでいる」と認識しているからです。「死んでいる」とは、柔軟性がなく固定化されたシステムに当てはめられているということです。「人間がこう願えば、神はこうする」という、人間の思い通りになる神が「死んでいる神」なのです。


ペトロはこの告白の後、自らの死を予告するイエスさまを諫めます。「そんなことがあってはなりません」。これはペトロの中にある、「神とはこういうもの」「わたしのイエスさまはそんなことを言うはずがない」という思い込みから出た言葉です。ペトロは自分でも気づかないうちに、イエスさまを自分の思い通りになる「死んでいる神」にしていしまっているのです。


それでは、ペトロの最初の告白はいい加減なものであって、イエスさまはその曖昧な思いの上に教会を建てると言われたのでしょうか。イエスさまはペトロの告白を聞いて、「あなたにこのことを現したのは、天の父なのだ」と言われました。


わたしたち人間の思いは揺れやすく、移ろいやすいものかもしれません。しかし、「イエスさまは救い主です」という告白は、わたしたちの思いを超えて備えられ、神さまがそれをなさしめてくださるのです。「神さまが与えてくださる」と委ねて告白する信仰。この岩の上に、教会は建てられているのです。

 
 
 

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