説教要約 マタイ15:21-28 2022.6.26
「豊かな食卓」 井上創牧師
女性の懇願に応えようとしないイエスさま。一体何を考えておられるのでしょうか。おそらく、この女性に何かを気づかせようとしているのでしょう。イエスさまはこどもとパンのたとえも用いながら「わたしはイスラエルのために働くのだ」と繰り返しています。これは、女性が自分の身内である娘のことに心を奪われていることを、御自分も身内のことばかり言うことで、暗に伝えようとしているのではないでしょうか。
こどもを救いたい、この境遇から抜け出したい。そういった自分の願いが叶うことが中心となって、この女性は何かを見失ってしまっているのです。「こどものためのパンを小犬にやってはならない」。皮肉のようにも思えるイエスさまの言葉ですが、女性はこのとき気が付いたのでしょう。主人の食卓から落ちるパンを犬が食べている光景を見たことがある、と。
溢れるほどに満たされた神さまの恵みは、本来救いを約束されていた聖書の民の手からこぼれて、異邦人にまで豊かに行き渡るのだ。それまで自分の願いに囚われ、手元ばかりを見ていた女性の目線が天を向きます。このビジョンを信じ、告白するとき、その信仰は人の目にハッキリと見える形として現れていくのです。
どの時代、どの国においても、「自分もこの食卓に与ることができる」というこの信仰が、神さまの霊の力によって形となり、教会が立ち上げられ続けてきたのです。
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