説教要約 マタイ15:1-20 2022.6.19
「心から出て来るもの」 井上創牧師
ユダヤの伝統において、神さまから与えられた体を汚さないように気をつけて生きることは御心に適ったものだとされてきました。しかし、「間違えないように」「失敗しないように」ということにばかり気を取られて生きることは、愛を為すべき場面においてさえ、掟や言い伝えのために躊躇してしまうことにもつながっていました。
イエスさまはわたしたちの内面から出て来るものこそが重要なのだと言います。本当に人を汚すものは外から入ってくるのではなく、わたしたちの内にある罪から生まれてくるのです。そして、おそらく「汚れ」と同じように、「救い」もまたわたしたちの内側から湧き出てくるのではないでしょうか。
わたしたちを悩ませる痛みや苦しみは、それを取り除いたとしてもまたわたしたちを襲います。医療や福祉、その他の外からの手を借りて解決したとしても、わたしたちの心は安まることはないのです。
多くの癒しの奇跡を行ったイエスさまは、このようなわたしたちの救いのために十字架の上で何もできない者になってくださいました。あなたのために指一本動かせない。しかし、「この身を献げてでもわたしはあなたと共にいたい」「あなたが生きていることがわたしの幸せであり望みだ」。外側からの癒しは無くとも、この十字架のメッセージを受けて、わたしたちの内側からは、あたたかい愛が湧き上がってくるのではないでしょうか。この愛がわたしたちの救いなのです。
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