説教要約 フィリピ2:1-11 2022.5.29
「謙遜と高挙」 井上創牧師
イエスさまは、へりくだり従順であったことから、神さまによって高く挙げられたと聖書にあります。高く挙げられるとは、これこそが御心に適ったすてきなことなのだと神さま自らが示してくださったということです。
イエスさまは、御自分が神さまと同じ身分であることを知っておられたでしょう。それがどれほど貴いものであるか知っていてなお、その命でわたしたちを贖ってくださったのです。つまり、へりくだるとは自分を価値のない者であるかのごとく扱うことではないのです。
わたしたちはともすると、自分の世界と無関係と思ったことがらには冷たいくらい関心を払いません。時に、持つ者は持たない者の悲しみを、強い者は弱い者の嘆きを、裕福な人は貧しい人の苦しみを知ろうともしません。その逆もまた真なり。若者は年を重ねる苦労を知らないのかも知れません。
断たれてしまったかに見えるわたしたちの関係。しかし、自分は「知らない者」として、相手のことを真摯に知ろうとするならばどうでしょうか。「相手を優れた者と考え」とは、優劣を比較しているのではないのです。あなたの本当の思いはわたしにはわかりません。だからこそ知りたいのです、という姿勢。これが「へりくだる」ということなのではないでしょうか。
神が、わたしたちの痛みと悲しみを知ろうとして人となった。ここに御心に適う「へりくだり」が示されているのです。
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