top of page

2022.5.22説教要約 マタイ28:16-20

  • 2022年5月30日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ28:16-20            2022.5.22       

井上創牧師


イエスさまの遺言のようなこの言葉。「すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことを全て守るように教えなさい」。果たしてわたしたちにはそれができるでしょうか。


かつて、わたしたち人間は旧約聖書の時代に十戒や律法という神さまの言葉をいただきました。もう殺さなくていい、もう盗まなくてもいい。みんなで共に生きていくのだ。そういう思いの込められたこれらの言葉を、人間は互いを裁き、縛り付ける道具としてしまいました。わたしたちの内に潜むこの「罪の力」は、福音として語られたはずのイエスさまの言葉をも同様に裁きの道具としてしまってしないでしょうか。


これからどうしていいのか不安と疑いの中にある弟子たちに、イエスさまは自ら近づき、優しい言葉をかけたのでしょう。「こうしてごらん。そうすれば・・・」と。


洗礼とは、神さまに愛されていることを実感し、これに応えていこうとすることです。イエスさまの弟子になった者が守るべき掟とは「互いに愛し合う」ということであったはずです。わたしたちが迷いと苦難の中にあるなら、その時こそわたしたちは、イエスさまを思い出して、神さまに愛されている互いのために祈ることができたらと願うのです。そうすることで、わたしたちは実感することができるはずです。「わたしは世の終わりまで、あなたがたと共にいる」というイエスさまの約束を。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.5.17説教要約 エフェソ 2:14-22「わたしたちは主の住まい」     井上創牧師

パウロはエフェソ教会の中に起こった対立・分裂の危機に対して、和解を勧めるためにこの手紙を書いたのでしょう。それでは、どのようにして異なる思いを抱く者たちが一つになることができるのでしょうか。  パウロの語っていることをよく聴いてみると、まず二つのものが一つになってから、「敵意を滅ぼす」「律法を廃棄する」「平和を実現する」という順番になっていることがわかります。敵意が消え、対立の原因になっている律法

 
 
 
2026.5.10説教要約 ヨハネ 20:24-31「わたしの神よ」          井上創牧師

イエスさまが復活して弟子たちのところに来たとき、トマスだけがその場にいませんでした。後になって、復活したイエスさまに会ったと仲間たちに聞かされたトマスは、「わたしは決して信じない」と口にします。しかも、「この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ」と。  これは本気で言っていたわけではないでしょう。実際にそういうことがしたかったのではなくて、自分のいないときに来たイエスさまに腹を立て

 
 
 
2026.5.3説教要約 マタイ 11:25-30「幼子を待つ」           井上創牧師

イエスさまは神の国の秘密について、神さまはそれを「幼子のような者にお示しになりました」と語ります。知恵ある者、賢い者が自分の力で難局を乗り切ろうとするのに対して、この「幼子のような者」とは、親を信頼する子どものように、神さまを信頼して委ねる者を意味しているのではないでしょうか。そのような者たちにはこの世界で起こるさまざまな事柄の中に神さまの御業を見出すことができるのでしょう。  この世界には自力を

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page