説教要約 ヨハネ20:1-18 2022.4.17
「名を呼んでいただく」 井上創牧師
辛い現実を生きている人々は、「ここでなはいどこか」へ逃避したいという願いを込めて楽園の存在を夢見てきました。また、教会は歴史の中で、「死ねば天国へ行けるのだから恐れずに戦え!」と若い命を戦場へと送ったことがありました。
しかし、イエスさまは天の国、神の国は「あそこにある、ここにあるといったものではない。あなたがたの間にあるのだ」と言いました。そして、遠い天の国ではなく、この世界に復活してくださいました。御自分が生きた現実の中に戻って来てくださったのです。復活の命は、ここではないどこかに希望を遠望することではないのです。この現実の中にもたらされる神さまの御業があると信じることで、わたしたちは希望を失わずに生きていくことができます。これがイエスさまの復活の力なのです。
ペトロたちも、マリアも、空の墓やそこに置かれた亜麻布を見て、その現実をそのままに信じています。しかし、その現実の中に神さまが必ず臨んでくださる、イエスさまが共にいてくださることに思いが至らずにいるのです。最初マリアはイエスさまとの会話の中に何の意味も見いだせていません。
ところが、「マリア」と名を呼んでいただいたとき、彼女はイエスさまとのあるべき関係へと戻されます。自分が何者としてこの現実の中に命を与えられているかを思い出すのです。わたしたちもかけがえのない一人として名を呼んでいただき、復活の希望を抱きながら日々を生きていきましょう。
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