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2022.2.20 ローマの信徒への手紙3章21~26節「神の義」

  • 2022年3月18日
  • 読了時間: 2分

 ウクライナの情勢が不安定になっています。原油や天然ガスなどのエネルギーや小麦などの農産物にも影響が出るため、日本も無関係ではいられないとのこと。東西冷戦状態は今も続いています。どうやら21世紀になっても人は争いを止めることができないようです。

 

 人が争う背景には、領土や国家間の摩擦だけではなく、主義主張や思想などの違いを認め合えずに、自分たちの考えに相手を無理矢理同調させようとする態度があるように思います。つまり、それぞれの理屈、「正義」がぶつかり合い、争いが起きているというわけです。しかし、相手を打ちのめすための正義は、果たして本当に「正義」と呼べるのでしょうか。


 ローマの信徒への手紙でパウロはまず、創造主である神さまがわたしたち被造物である人間をはるかに超えたお方であることを語っています。そういう全知全能のお方を前にしたとき、わたしたち人間がどれだけ間違いを犯す存在であることでしょう。もしも、神さまが人間を正しく裁こうとなさるなら、人間はみなすべからく罪の中で滅んでいくことでしょう。しかし、神さまはそうはなさらなかったのです。神さまはイエス・キリストを償いの供え物として地上に送り、十字架の死をもって、人間の全ての罪を赦そうとなさいました。「それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。」とあります。神さまの「正義」は、御自分の正しさに則って人を裁くことではなく、罪を見逃して、それを赦すことにあったのです。

 

 わたしたちも、毎日の生活の中で、誰かに自分の思いを押しつけたり、自分と意見の違う人を敵視したりしてしまうことがあるかもしれません。そのようなときも、見逃すこと・赦すことが「正義」だという神さまの愛と、キリストの十字架の恵みとを思い出すことができたらと願うのです。 

 
 
 

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