top of page

2022.12.4説教要約 マタイ1:18-25「わたしの心に適わぬこと」

  • 2022年12月22日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ1:18-25           2022.12.4

「わたしの心に適わぬこと」     井上創牧師


大きな変化を伴う出来事も起こらず、理不尽な目に遭わず、ただその日の恵みをじっくりと味わいながら「平穏」な日々を過ごす。それは誰もが望む当たり前の幸せなのではないでしょうか。ヨセフも、そんな平穏な日常を望む人だったのでしょう。彼の未来には、幸せな夫婦生活が約束されていたはずでした。しかし、婚約者が身ごもっていることが明らかになります。このままでは婚約者のマリアが不貞の罪によって命を奪われてしまいます。そこでヨセフは密かに縁を切ろうと決心するのです。


クリスマスは単に、清く美しく平和な物語ではないのです。むしろ、平穏な日々を望む人が理不尽な目に遭う物語なのです。突然ヨセフを襲った出来事は、彼に戸惑いと恐れを与えたことでしょう。しかし、神さまはヨセフをそのままにはしておかれませんでした。彼の身に起こっていることが聖霊の働きによるものであることを、天使を通して告げるのです。全ては神さまが整え、用意したものであるのだと。


ヨセフはこのことを通して知ったのではないでしょうか。「わたしの心に適わぬこと」を避け、取り除いていく人生が「平穏」なのではないのだと。それがどれほど自分の意に沿わぬことであったとしても、神さまが備えてくださるものの中にこそ本当の平和があるのだと。どんなときにも「主が共にいてくださる」と感じられるならば、わたしたちはあたたかなクリスマスの温もりを味わうことができるのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.7.5説教要約 Ⅰコリント 3:10-22 「あなたがたが神殿」        井上創牧師

わたしたちはイエス・キリストを土台にして、それぞれに建物を建てていきます。これらは金でできていたり、藁でできていたりしますが、それらは優劣がつけられるものではありません。たとえ、わたしたちが日々積み上げていく証しが燃え尽きて、消えてしまったように見えても、それがキリストを土台としているのであれば、火によって精錬されたもののように、その救いは確かなものとして残るのです。  なぜなら、わたしたちが建て

 
 
 
2026.6.28説教要約 マタイ 16:13-20 「岩の上の教会」          井上創牧師

イエスさまは言いました。「シモンよ、あなたはペトロ(岩)。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」。この言葉に基づき、カトリック教会は初代の教皇はペトロであるとしています。天の国の鍵とは、罪の赦しを与える権限であると考えられ、やがて教皇には絶大な権力が集中していくこととなりました。  しかし、宗教改革によって生まれたプロテスタント教会は、このような権力の集中に至る「伝統」に疑問を唱え、「聖書のみ

 
 
 
2026.6.21説教要約 ルカ 18:35-43 「見えるようになりたいのです」   井上創牧師

連れてこられた盲目の物乞いにイエスさまは問います。「何をしてほしいのか」。これは、「わたしに何ができると信じているのか」という意味なのではないでしょうか。つまり、わたしにとってイエスさまはどのようなお方なのかという、信仰の告白が求められているのです。  既に盲人はイエスさまを「ダビデの子」と呼んでいました。これは、一般的な、そして伝統的なメシアに対する尊称です。しかし、イエスさまが救い主であること

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page