説教要約 マタイ20:29-34 2022.10.16
「目を開けて、それで」 井上創牧師
「憐れんでください」と呼びかける二人の盲人に、イエスさまは「何をしてほしいのか」と尋ねられます。誰もが「見えるようになりたいに決まっているだろ」と思うのではないでしょうか。しかし、イエスさまはあえてそのように聞かれるのです。これは、「そのままのあなたを神さまは祝福し、用いてくださる」ことを確信しているからなのではないでしょうか。
目が治れば、この二人は社会に戻され、いわゆる普通の生活を送ることになります。それも二人の望みであったことでしょう。しかし、「それだけがあなたの望みなのか」とイエスさまは改めて問うておられるのです。この問いは、様々な課題を抱えるわたしたちにも向けられているのではないでしょうか。
社会から切り離され、交わりの中に置かれていないということは「人を愛し、人に仕える」という喜びを受けることができない、ということでもあります。二人は後にイエスさまに従うものとなります。これは旅を共にしたということだけではなく、その教えに従い生きる者となったということでもあるでしょう。病を癒されたことではなく、そのままも自分を受け入れてくださるイエスさまに従い、愛に生きる者となったことこそが、ここで語られている奇跡なのではないでしょうか。
たとえ障碍を抱えていたとしても、病の床に伏していたとしても、他者に仕えることはできます。またわたしたちはどのような人からも神さまの恵みをいただくことができるのです。
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