説教要約 創世記28:10-22 2022.1.9
「主がわたしの神となられるなら」 井上創牧師
双子の弟であったヤコブは、父イサクを騙し、兄エサウが受け継ぐはずであった祝福を横取りします。追われるようにして家族から離れて旅に出たヤコブは、ただ一人石を枕に眠りに就くのです。神さまは、このように罪を負い、孤独に彷徨う者をも見捨てずに声をかけてくださいます。
ヤコブはおそらくこのとき初めて神さまと出会いました。イサクや家族を通して神さまのことを聞いてはいたかもしれません。しかし、自分自身で直接神さまと対面したり、神秘的体験をしたかどうかは、ここまでの聖書の記事からは読み取れません。ヤコブはこの邂逅を経て、誓願を立てます。
誓願とは、単に宣誓したり、願い事をしたりすることではありません。ここでは、「主がわたしの神となられるなら、わたしはあなたを記念します。」と述べられています。これは、神さまが本当にわたしの主となられるのだろうか、という疑いから出た言葉ではありません。交換条件が提示されているわけでもありません。ヤコブは、神さまとの間に対等な取引を望んでいるのです。このヤコブの態度は不遜でも不敬でもありません。むしろ、素敵なことをしてもらったら、何かお返しをしたくなるという、相手に対する当たり前の気持ちなのです。
わたしたちも、神さまと出会い、キリストを通し「共にいる」と言ってもらい、日々を恵みで満たしていただいています。さて、それでは一体何をお返しすることができるでしょうか。
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