説教要約 ルカ2:41-52 2022.1.2
「父の家」 井上創牧師
ルカにとって、エルサレムという場所は特別な意味を持ちます。他の福音書と違い、ルカにおいて弟子たちはエルサレムで復活のキリストと出会うのです。前回のシメオンの言葉もそうでしたが、ルカにおける御子降誕の物語は、十字架と復活のメッセージを内包しているのでしょう。
イエスさまが12歳という年齢のときにこの事件が起きたのも意味があることなのかもしれません。このくらいの年齢というのは、自分が何者であるか、どのように生きていくのかといったことに悩み始める時期なのではないでしょうか。イエスさまは神殿にいる学者たちに質問をしていました。神殿にいる学者ですから、この人たちは聖書について研究していた人たちなのでしょう。そのような人たちと聖書の話をする中で、イエスさまはご自身の口をもって「神さまこそがわたしの父である」という宣言に至ることになります。
両親は、自分たちの不注意で息子を見失いながら、神さまの導きのもとにいた息子を叱ります。過ちを他者のせい、また神さまのせいにするアダムの罪が、ここに現れているのでしょう。人の罪を経て、イエスさまは3日の後に見出されます。やがてくる復活のときが、このようにして予告されているのです。
わたしたちも日々の生活の中でイエスさまを見失ってしまうことがあります。しかし、父なる神さまの家、天におられる復活の命の主を、何度でも見出すことができたらと願うのです。
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