top of page

2022.1.16説教要約 マラキ3:6-12 マルコ12:41-44「身を献げる」

 マラキ書において神さまは、わたしたちが神さまを偽っている、神さまに立ち帰っていないと言います。一体何をもって、わたしたちが偽り、立ち帰らないと言うのでしょうか。それは、「十分の一の献げもの、献納物において」であるようです。この十分の一というのは当時の税制においては安価であったと考えられます。それだけでもいいから献げてみなさい。「試してみよ」と神さまは言われます。そうすれば、祝福が限りなく注がれていることがわかるはずだ、と。


 マルコによる福音書においてイエスさまは、「明日のことで思い悩むな」と言います。結局、わたしたち人間には明日自分の命がどうなってしまうかということさえわかりません。それよりも、固く握りしめているものを離し、神さまにこの身を献げ委ねてみると、この一日の中に溢れていた恵みに気が付くことができるはず。空の鳥、野の花にさえ、神さまの愛は満ちているのだと、イエスさまは教えてくださっているのでしょう。


 そうしてみると、献金というのは神さまの祝福に気が付くため、わたしたちが持っているものを手放してみるという、一種の訓練のようなものなのかもしれません。自分の手の内にあるもので自分の命と生活を保っていると思っていると、傲慢になり、他者への寛容を失い、注がれている神さまの愛に気が付きにくくなってしまうからです。委ねて生きる生き方をいつも覚えていられるように、わたしたちは献金をするのでしょう。

最新記事

すべて表示

2025.1.12説教要約 ルカ 17:11-19 「いやされた人」 

重い皮膚病を患っている十人に、イエスさまは「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と言います。当時は、このような病気にかかって治ったとしても、祭司たちがそれを確認し許可しなければコミュニティーに帰ることはできない決まりになっていました。十人は、自分の体が治るのを待たずに...

2025.1.5説教要約 ヨハネ 16:16-24 「イエスを見る」

イエスさまは弟子たちに「しばらくするとあなた方はわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」と言いました。これは、イエスさまの復活について言っているのでしょうか。それとも、再臨についてでしょうか。...

2024.12.29説教要約 ルカ 2:28-35「新しく始まる命」

人によっては、地上で生きる日々は苦しみと虚しさに満ち、いっそ死んだ方がましだとさえ思えるときもあるかもしれません。シメオンは幼いイエスさまと出会い「今こそ安らかに世を去ることができる」と喜びました。シメオンは年を重ねて生きなければならないことに疲れを感じていたから、去ること...

Comments


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page