説教要約 マタイ13:1-23 2021.9.26
「日々種蒔く者」 井上創牧師
今日の聖書箇所で引用されている旧約聖書はイザヤの預言です。イザヤを始めとした預言者たちは、人々に悔い改めるようにと繰り返して語りかけます。しかし多くの場合、人々は聞く耳を持ちません。
このようなとき、預言者たちの心には三つの思いが生まれます。一つは困惑。なぜ神さまの言葉を受け止めてもらえないのだろうかという思い。二つ目は絶望。これ以上語りかけても無駄なのではないかという思い。そして、三つ目は信仰です。神さまは全能であるのに、人々の心に届く言葉を発することができないのだろうか。いや、そんなはずはない。神さまは、今は人々の耳を閉じておられるだけなのだ。この信仰は、希望へとつながります。今は閉じておられる。しかし、神さまが開こうとなさるときが来れば、それは開かれるのだという希望です。
種まきの物語は、もしかしたら一人の人の物語なのかもしれません。わたしたちの心模様は、ときに荒れ地のようであり、ときに茨の茂みのようであり。しかし、神さまはどんなときでもわたしたちに語りかけ続けてくださっています。種はどんなときでも蒔かれているのです。
そして、わたしたちに聞く用意ができたときには(聞く耳のある者は聞きなさい!)、その御言葉はわたしたちの内に芽吹き、溢れるほどに実って、それらはわたしたち自身だけではなく、何十倍もの人たちを共に満たすほどになっていくのです。
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