説教要約 マタイ12:1-8 2021.8.1
「生きて、祈る」 井上創牧師
戦争の怖さの一つは、国が右を向けと言えば、皆が右を向かなければならない雰囲気になってしまうことでしょう。宗教もみんなが一つの方向を向かなければならないと感じさせるような圧力を生み出すことがあります。そのようなとき、神さまは本当にそれを望まれているのか、一人一人が省みることが大事になってくるのではないでしょうか。
今日の聖書箇所では、ファリサイ派たちはイエスさまの弟子たちが安息日の律法を違反していることを問題視しています。しかし、イエスさまはサムエル記上に記されているダビデの故事を引き合いに出して、司祭が憐れみをもってダビデに聖別されたはずのパンを与えたように、時には定められた掟を超えて施されるべき愛があるのだということを教えておられます。
神殿において犠牲の捧げ物を用意するためには多くの費用がかかり、民衆はそのために苦しい生活を余儀なくされていたようです。「日毎の糧をお与えください」と祈るように命じられたイエスさまは、わたしたちが毎日を豊かに生きることを神さまが望んでいてくださるのだと教えてくださっているのです。
76年前と同じように、今の時代にも、圧力を受け脅かされる人がいます。もしかしたらわたしたち自身、自分の足を鎖でつなぎ止めてしまっているかもしれません。神さまが全ての人に豊かに生きて欲しいと望まれていることを、このときにもう一度思い出すことができたらと願うのです。
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