説教要約 マタイ12:15-21 2021.8.15
「目が眩むほどの輝き」 井上創牧師
イエスさまは安息日に関する二つの問答で、ファリサイ派を論破しました。そのことで、彼らから命を狙われることになります。それでは、15節。それを知ったイエスさまは害されることを恐れてそこを立ち去られたのでしょうか。そして、行く先で人々を癒した後、言いふらさないようにと戒めたのは何故なのでしょうか。
それは、イザヤ書に預言されていたとマタイは言います。19節「彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない」。イエスさまは、論争をして勝利するために、そして癒しの業によって人目を引くために地上に来られたわけではないのです。それだけではありません。20節の「彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない」。この傷ついた葦、くすぶる灯心とは、神の子であるイエスさまに戦いを挑んで敗れた人々、イエスさまと出会い己の信仰心に揺らぎを覚えている人々であるかもしれないのです。
イエスさまが戦って勝って、それを誇られるのであれば、異邦人たちはその名に望みをかけるというようなことがあるでしょうか。自分を害そうとする者たちさえも折らずに赦し、争いを避け、静かにそして着々と神さまから託された癒しの業を行っていく。「正義」とは他者と競い合うことで確立されるものではないのだということを、敗戦後76年のこの時にもう一度思い出すことができたらと願うのです。
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