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2021.7.18 説教要約 マタイ11:20-24「奇跡を見ても」

  • 2021年7月27日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ11:20-24 2021.7.18

「奇跡を見ても」           井上創牧師


イエスさまは、多くの奇跡を体験したはずの町が悔い改めないということについて憤っておられます。


「悔い改める」とは、何か悪い結果の原因を突き止めて反省する、ということではありません。神さまの方に向き直ることが「悔い改める」ということです。わたしたちは痛い目を見るから悔い改めるのではないのです。むしろ、奇跡を見るから悔い改めるのです。


「奇跡」とは、単にわたしたちの想像を超える出来事を意味しているのではありません。そこに神さまの力が働いている、神さまの思いが込められていると感じられることは、たとえそれがどれほど小さいとしても「奇跡」なのです。そこに神さまの力を感じていながらも、神さまに心を向けないのだとしたら。イエスさまがガッカリされるのもわかるような気がします。


とはいえ、わたしたちは神さまの御心を完全に知ることはできません。「罪」とは「的外れ」という意味です。わたしたちが「ここに神さまのちからが働いている」と思うことが、果たして正しいのかどうかはわからないのです。もしかしたら、その思い違いが誰かを傷つけてしまうこともあるかもしれません。


しかし、イエスさまがわたしたちの罪を背負ってくださいます。わたしたちが作り出した痛みの上にも手を置いて癒してくださいます。だからわたしたちは恐れずに、奇跡を信じ、繰り返し、神さまの方に向き直っていくことができたらと願うのです。

 
 
 

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