説教要約 マタイ10:16-25 2021.6.20
「霊が語る」 井上創牧師
わたしたちには向かい合う他者が必要です。その他者との間にある違和感から自分自身の輪郭を確かめていくからです。わたしたちはつい他者について「わかったつもり」になって、自分の許容できない異質さについては排除していこうとしまうことがあります。しかし、異質なものとぶつかり合って、削り合って、生涯をかけてわたしたちは自分を造り上げていくのです。
イエスさまがわたしたちを世に遣わしていくのは、この異質な者として、なのではないでしょうか。「わかったつもり」になって混ざり合ったり、曖昧に仲良くするためではなく、互いの違いを際立たせ、それぞれが一人の人となるために、わたしたたちは遣わされていくのでしょう。
ところが、そういうわたしたちを受け入れられる人ばかりではないので、キリスト者は度々迫害を受けてきました。それでもキリスト者は異質な者として遣わされていきます。なぜなら、わたしたちの師であるイエス・キリストこそ「人の中に異質なる神として」来られた方だったからです。そして、この方は異質なままにわたしたちと共にあることを望んでおられました。
わたしたちは誤解されたり、受け入れてもらえないことを恐れずに遣わされていきたいと願うのです。わたしたちには逃げることも許されていますし、神さまが真に必要と思ってくださるならば、わたしたちの内には霊が働き、その言葉と行いは豊かに用いられていくからです。
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