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2021.5.2 説教要約 マタイ9:18-26「溢れんばかりの命」

  • 2021年5月24日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ9:18-26 2021.5.2

「溢れんばかりの命」    井上創牧師


長い間、病を患っていた女性にイエスさまは言いました。「あなたの信仰があなたを救った」と。それでは、この「信仰」の具体的な内容とはどのようなものなのでしょうか。


一つは、この方ならばわたしの苦しみをわかってくれるだろうと信じて委ねたということです。わかってくれないと思っている人のところへわざわざ赴く人は少ないでしょう。誰もが感じるような切なる願いに応えて、神さまが共にその身に痛みを負ってくださった証しがイエス・キリストの十字架です。


もう一つは、この方こそが命をつくり、司っておられると信じて委ねたということです。家電が故障したとき、それを製造したメーカーに修理を頼むように。家に不具合があれば、その家を建てた施工業者に連絡をするように。命に支障があるならば、わたしたちはそれをつくられた方のところへと向かうのではないでしょうか。神さまがこの溢れる命の源であるという証しがイエス・キリストの復活です。


十字架と復活を信じ、委ねること。それがわたしたちを救う信仰の具体的な内容なのでしょう。死を命の敗北と考え、それを恐れる生き方は、死に囚われた生き方です。死の先に、それを超えていく命があると信じる生き方は、新しい命に続く生き方です。イエスさまがよみがえらせた少女も、病を癒していただいた女性も、やがてまた地上を去ります。それでも命の向こう側を臨み見る信仰によって、確かな救いを得たのでしょう。

 
 
 

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