説教要約 ヨハネ20:19-23
「聖霊の宿るところ」 井上創牧師
わたしたちは神さまを忘れ、神さまに成り代わるかのように、自分を一番に置こうとしたりしてしまいます。そういうわたしたちの罪を、神さまは赦してくださいます。これは、そういうわたしたちの思いや態度をなかったことにしてくれるということではありません。わたしたちはこれからもそういうことをしていいよと許可されたわけではないのです。神さまはそういうわたしたちをご覧になって心を痛めておられます。今日もなお。
そのしるしが十字架です。今も、神さまはわたしたちの罪のために悲しい思いをしておられる。そして、「そんなあなたたちだけれどもわたしは受け入れて、受け止めてあげたい。」「それほどにあなたたちが大切だよ」と十字架の上から叫んでくださっている。わたしたちは、そのようにして赦されています。
誰かを赦すこと、受け入れることができずにいることは、苦しいことです。いっそ無かったことにして、忘れ去ってしまえばとも思うのですが、赦すとは、忘れ去ることではありません。むしろ、覚えておかなければならない。しかもそれは、自分だけが、ということではありません。わたしたちが、神さまから赦されていることを知って、安心することができるように。赦される側もまた、そこにある痛みを知って、覚え続けておかなくてはならないのです。そうなってこそ、赦す側の心にも、赦される側の心にも平安が訪れるのではないでしょうか。このような両者を取り持つように、聖霊は働いてくださるのです。
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