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2021.10.31説教要約 マタイ14:1-21「イエスと群衆」

2021年12月12日
読了時間: 2分

説教要約 マタイ14:1-21        2021.10.31

「イエスと群衆」          井上創牧師


洗礼者ヨハネは時の権力者ヘロデの手によって処刑されてしまいました。ヨハネの身に起きたことは、ともすればイエスさまにも起こり得ることでした。イエスさまはこのことを危惧してのことでしょうか、人里離れたところへと退かれるのです。


ヘロデは群衆を恐れていました。反乱を恐れていたのか、人気がなくなることを恐れていたのかはわかりません。しかし、彼は結局群衆よりも、身内を優先してヨハネの命を奪ってしまいます。


一方でイエスさまは、その身が危ういにもかかわらず、御自分に付き従ってこようとする群衆を見て「憐れんで」癒しと奇跡によって人々を救い、満たそうとなさいました。群衆の求めに応じて、その命さえも差し出してくださったのです。この群衆に、わたしたちの姿が重なるように思えます。


教会とは、法人としての組織や建物のことだけを意味しているわけではありません。イエスさまが聖霊によって立ててくださった教会とは、わたしたちの間にある「ゆるやかな関わり」のことです。


「せねばらならい」「してはならない」という戒めや、それに付随する賞罰によってではなく、「したい」という心から湧き出る自然な気持ちによって、礼拝に集い、神さまと触れ合い、日々祈って暮らしている。そういうわたしたちは、イエスさまからの憐れみを求めて集っているというその一点によって、ゆるやかにつながっているのです。それが教会なのです。

 
 
 

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