説教要約 マタイ7:1-6 2021.1.24
「兄弟の目のおが屑」 井上創牧師
聖書の御言葉はわたしたちに、神の御心がどのようなものであるか知らせてくれます。そして、人間がその御心に適わない限界を持つのだということも知らせてくれます。更に、そのようなわたしたちにさえ注がれている神さまの恵みを知らせてくれるのです。
わたしたちは、兄弟の目のおが屑さえも気になってしまいます。明らかに敵対する相手ではなく、最も親しい間柄の相手にさえ非難の目を向けてしまうのです。もしかしたら、近しいからこそ親密さが増し、それゆえに憎悪を抱くことさえあるかもしれません。自分のことを知ってもらえているはず。だから、こうしてくれるべき、ああしてもらえるはずだ。そういう自分の思いから相手の行動が逸れてしまったとき、わたしたちは相手を批判したくなるのではないでしょうか。
神さまは人となってくださいました。兄弟になってくださいました。わたしたちはこの兄弟を十字架にかけました。それゆえ、わたしたちは自分たちが神さまさえも裁きにかける者だということを知らされるのです。しかし、神さまはイエスさまを復活させてくださいました。このことを通して、わたしたちは裁かれず、尚も赦されていることを知るのです。
そしてもし、わたしたちが世にあって裁かれる立場にあるときも、わたしたちの隣には同じように裁かれたイエスさまがおられることを知るなら、平安を得ることができるのでしょう。
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