説教要約 マタイ6:25-34
「命を養う主」 井上創牧師
明日を思い煩うとは、「ああなのか、こうなのか」とわからない未来をのぞき見ようとすることでもあるのではないでしょうか。しかし、未来は神さまの領域です。これから起こることは神さましか知りません。わたしたちにはわかっていないことを、さも「わかった」ように振る舞うことは、神さまに対する不遜なのかも知れません。
人間にわかるのは、過ぎたことの中にある「神さまが何をしてくださったか」という結果のみなのではないでしょうか。空の鳥のことも、野の花のことも、わたしたちが当然知っていることの中に神さまの愛と恵みを見て取ることができるのです。
ボーイ・スカウトでは「備えよ常に」という言葉を大切にしています。未来何が起こるかわからないからこそ、不測の事態に備えておくことが、わたしたちには必要です。そして、スカウトの精神において「備える」ことは、自分の命を長らえさせるためのものではないようです。神さまに愛されていることを過去によって知らされ、まだわからない未来において、よりよく他者を愛するために、わたしたちは備えるのでしょう。
イエスさまは「何もいらない」ということを言いたかったのではなく、命や体などの既にあるものに目を向けて感謝すること。そして、他ならぬ神さまが未来を知っていてくださることに信頼して備えを用いていくことを教えてくださっているのではないでしょうか。
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