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2021.1.10 説教要約 マタイ6:22-24「目の光」

  • 2021年1月24日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マタイ6:22-24

「目の光」             井上創牧師


目が「澄んでいる」という言葉は、聖書の他の箇所では「寛容」「惜しみなく与える」という意味合い使われるそうです。同じように、「濁っていれば」という言葉は、「物惜しみする」「けちな」という場合に使われるようです。ということは、やはり先週に引き続き、わたしたちの富の問題が取り上げられているのでしょう。


他者に寛容であり、赦し、全てを捧げられたのがイエス・キリストでした。わたしたちの内に灯り、その小さな奉仕の業によってさえ、全身を輝かせてくださる方を、消すことなく、大切にしていきましょう。そうすれば、きっとわたしたちは希望を失わず、暗闇の中でこそ、他者を受け入れ、赦し、共に生きる方向へとともし火を向けていくことができるのではないでしょうか。


福音書が編纂されていた当時、しもべは主人によって、24時間管理されていました。そのため、二人の主人に仕えるということは実質不可能なことでした。神と富、わたしたちがどちらを主人とするべきか。この世界を創造し、わたしたちが富と認識するあらゆるものさえも造られた方の他に、わたしたちを本当の意味で支配することのできる何かがあるでしょうか。


わたしたちは、富によって支配されるのではなく、富を支配し、コントロールできるようにならなければならないのでしょう。わたしたちが本当の主人のために、与えられた富である賜物を活かし、用いていくことができたらと願うのです。

 
 
 

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