説教要約 ルカ2:41-52 2020.9.20
「モノローグからダイアローグへ」 井上創牧師
イエスさまは、神の子でありながら、その身分を捨てて人となられました。御自分を迫害、攻撃しようという相手のために、その姿を変えたのです。そこに愛があります。わたしたちはどこか頑なになっていなかったでしょうか。既に知られているキリスト教を伝えなければと。わたしは知っている人。あなたは知らない人。だから語ってあげましょう。わたしがあなたに一方的に語る、モノローグで。
幼いイエスさまは、神殿で「学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり、質問したりしておられた」、とあります。語っていたのではなく、聞いていたのです。そして質問をする。学者たちはその「賢い受け答えに驚いていた」とありますから、これは討論、つまりダイアローグしていたのではないでしょうか。
ダイアローグに大切なのは、相手の意見を受け止めることです。神さまはわたしたちの呼びかけに応えて、地上に来てくださいました。何か貴い金言を携えて、それを一方的に与えるためではありません。わたしたちの境遇を聞き、「そうか、そうか。そうなんだね。それでどうして欲しい」と尋ねてくださるためです。目が見えない人に「治してあげようか」と一方的に話しかけるのではないのです。「どうなりたいか」そうお訪ねになる。わたしたちが答える。「見えるようになりたいのです」。そういう対話の中で、わたしたちは癒されていくのではないでしょうか。その対話こそが、わたしたちの伝道の姿勢なのです。
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