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2020.9.13 説教要約 使徒5:1-11 「手を離す練習」

  • 2020年10月9日
  • 読了時間: 2分

説教要約 使徒5:1-11 2020.9.13

「手を離す練習」        井上創牧師


いつも、どんなときも、神さまがよいものを整え、備えていてくださるのだと信じて身を委ねていく。それが信仰するということなのです。ところが、これがなかなかできないのがわたしたち人間です。急に何かが起こったり、危ない目に遭って慌てたり、そういう咄嗟の時ほど、わたしたちはギュッと手を握ってしまうことがあるのです。心も体もゆるやかに、力を抜いて、緊張を解いて、いつでも委ねられるように。このためには一朝一夕にしてならない練習が必要です。


この練習の一つが献金です。わたしたちが捧げるもの。それには、何に用いられるかという明確な目的はありません。もちろん、それは結果として教会の維持運営のために用いられ、それが適正かどうかというチェックも行われたりするわけですけれども。それは捧げた後のことです。わたしたちが捧げるとき、それはどこで、何に使われるかということよりも、わたしがそれを手放したということの方が、実は大事なことなのです。


神さまはギデオンに呼びかけ、兵隊を減らし、それでも勝利を与えてくださいました。身を守る安心は少しでも多い方がいいと思うのが人の常です。自分の力と才能で得た安心をその身に巻き付けて、重く息苦しく、ままならない足取りで進む。そういうわたしたちに、神さまは「解き放たれなさい。安心して生きていいのだ」といつも呼びかけてくださっているのです。この呼びかけに応えていくことができたらと願うのです。


 
 
 

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