説教要約 ヨハネ4:19-26 2020.8.9
「交わされる祝福」 井上創牧師
交読詩編のように互いに言葉を交わし合うという様式は、礼拝の各パートの中でも最も古いものであると言われています。その一端が、申命記に出てきました。ゲリジム山とエバル山。この二つの山の頂から言葉が交わされたそうです。その交わす言葉というのが、「祝福」と「呪い」でした。
詩編は不平不満ばかりで好きになれないと言った人がいました。しかし、そういう不平を言う詩編の作者が、わたしたちの姿にも重なるのです。成功している人を妬んでうらやましがったり、自分以外の誰かを悪として呪ってみたり。そういう人間臭い詩編だからこそ、交読する意味があるのではないでしょうか。それもまたわたしたちなのだ。それをわたしたちはお互いの声かけを通して確認し合っているのです。
わたしたちの口から出るのは決して呪いの言葉だけではありません。どれほど罪の鎖が重くても、サマリアの女性のように辛い境遇の中にあっても、わたしたちは他者のために祝福を祈ることができる者として呼ばれているのです。だからわたしたちは落胆せずに、口にした言葉を神さまが祝福として用いてくださるのだと信じて、語り続けていくのでしょう。
誰かを呪い、また誰かに呪われる者でありながらも、誰からか祝福を祈られ、誰かのために祝福を祈る者とされている。そのことを、わたしたちは礼拝の中で、交わし合う言葉によって確認し合っていくのです。
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