top of page

2020.8.23 説教要約 マルコ6:6b-13 「出かけて行く先で」

  • 2020年9月4日
  • 読了時間: 2分

説教要約 マルコ6:6b-13 2020.8.23

「出かけて行く先で」     井上創牧師


聖書の登場人物の多くは「旅人」です。定住する場所をもたずに、どこへともなくさ迷い続ける日々。アブラハムの物語の始まりも、神さまによる旅への誘いでした。ペトロの手紙にも、「わたしたちは旅人」であり「仮住まいの身」であると書かれています。これは、わたしたちには帰る場所があるということを意味しています。それは、「天の国」です。


礼拝は、この天の国の先取りです。終わりの時に実現する出来事を、必ずそうなると信じて集まっている人たちが確認し合う。「そうだよね」とお互いに言い合う。「アーメン」とはそう言う意味です。洗礼の時に、信じようと心に決めたことを、「そうだ」「そうだ」と、確認していく作業。それが礼拝なのです。


この礼拝の最後は「派遣の言葉」で締めくくられます。どこへ派遣されていくのか。この世界、わたしたちそれぞれの日常へ、です。「平和の内に、この世へと出て行きなさい」。この言葉は、わたしたちの日常が平和だと言っているのではありません。この世は多くの困難が待ち受け、先行きは不透明な霧の中にあります。それでも、神さまが共にいてくださる。イエスさまが隣を歩んでくださる。わたしたちは迷子ではない。帰る場所が用意され、七日の旅路の後、またここに帰ってくることができる。そういう平安が約束されていることを信じて、わたしたちは礼拝の場からそれぞれを待つ隣人のもとへと、何も持たずにそのままで遣わされていくのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.7.5説教要約 Ⅰコリント 3:10-22 「あなたがたが神殿」        井上創牧師

わたしたちはイエス・キリストを土台にして、それぞれに建物を建てていきます。これらは金でできていたり、藁でできていたりしますが、それらは優劣がつけられるものではありません。たとえ、わたしたちが日々積み上げていく証しが燃え尽きて、消えてしまったように見えても、それがキリストを土台としているのであれば、火によって精錬されたもののように、その救いは確かなものとして残るのです。  なぜなら、わたしたちが建て

 
 
 
2026.6.28説教要約 マタイ 16:13-20 「岩の上の教会」          井上創牧師

イエスさまは言いました。「シモンよ、あなたはペトロ(岩)。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」。この言葉に基づき、カトリック教会は初代の教皇はペトロであるとしています。天の国の鍵とは、罪の赦しを与える権限であると考えられ、やがて教皇には絶大な権力が集中していくこととなりました。  しかし、宗教改革によって生まれたプロテスタント教会は、このような権力の集中に至る「伝統」に疑問を唱え、「聖書のみ

 
 
 
2026.6.21説教要約 ルカ 18:35-43 「見えるようになりたいのです」   井上創牧師

連れてこられた盲目の物乞いにイエスさまは問います。「何をしてほしいのか」。これは、「わたしに何ができると信じているのか」という意味なのではないでしょうか。つまり、わたしにとってイエスさまはどのようなお方なのかという、信仰の告白が求められているのです。  既に盲人はイエスさまを「ダビデの子」と呼んでいました。これは、一般的な、そして伝統的なメシアに対する尊称です。しかし、イエスさまが救い主であること

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page