説教要約 マルコ6:6b-13 2020.8.23
「出かけて行く先で」 井上創牧師
聖書の登場人物の多くは「旅人」です。定住する場所をもたずに、どこへともなくさ迷い続ける日々。アブラハムの物語の始まりも、神さまによる旅への誘いでした。ペトロの手紙にも、「わたしたちは旅人」であり「仮住まいの身」であると書かれています。これは、わたしたちには帰る場所があるということを意味しています。それは、「天の国」です。
礼拝は、この天の国の先取りです。終わりの時に実現する出来事を、必ずそうなると信じて集まっている人たちが確認し合う。「そうだよね」とお互いに言い合う。「アーメン」とはそう言う意味です。洗礼の時に、信じようと心に決めたことを、「そうだ」「そうだ」と、確認していく作業。それが礼拝なのです。
この礼拝の最後は「派遣の言葉」で締めくくられます。どこへ派遣されていくのか。この世界、わたしたちそれぞれの日常へ、です。「平和の内に、この世へと出て行きなさい」。この言葉は、わたしたちの日常が平和だと言っているのではありません。この世は多くの困難が待ち受け、先行きは不透明な霧の中にあります。それでも、神さまが共にいてくださる。イエスさまが隣を歩んでくださる。わたしたちは迷子ではない。帰る場所が用意され、七日の旅路の後、またここに帰ってくることができる。そういう平安が約束されていることを信じて、わたしたちは礼拝の場からそれぞれを待つ隣人のもとへと、何も持たずにそのままで遣わされていくのです。
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