説教要約 ヨハネ17:20-26 2020.7.5
「招かれ、応え、遣わされる」 井上創牧師
「招く」とは、神さまの業です。
世界の最初に神さまは光に「あれ」と言ってこれを招きます。
そして、アブラハムを、モーセを、ダビデを招きます。
聖書は、神さまが人間に呼びかけ、こっちにおいでと招いている物語です。
使徒言行録は弟子たちが世界へと遣わされていく物語です。
その際、聖霊はその足を支え、守ってくださいます。
福音を携え世に「遣わされていく」わたしたちの働きは聖霊の業です。
そして、「応える」とは、神さまが呼びかけてくださるのですから、
これは人間の側がなすべきことです。
ところが、人間は旧約の時代から、現代に至るまで、
だれ一人として神さまの招きに、十分に応えることができずにいたのです。
神さまの思いを受け止めることができずにいたのです。
このようなわたしたちのためにこそ、
キリストは人間としてこの世界に来てくださいました。
神が神に応えるのではなく、人間が神の招きに応えるために、
ご自身が不便で不自由な人間の姿にその身を押し込めてくださったのです。
なぜそんなことをしたのか。
人間を、わたしたちを大切に思うがゆえです。
礼拝の中では、賛美を通し、説教を通し、
このキリストの恵み、愛こそが、不完全なわたしたちを支え、助け、
満たす要であると告白されます。
キリストの来られたわけが知らされ、
十字架に捧げられた神の御子がわたしたちの前に掲げられて始めて、
わたしたちは神さまに「応える」者となっていくのです。
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