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2020.7.26 説教要約 Ⅱコリント5:1-5「主の幕屋に入る」  

  • 2020年8月2日
  • 読了時間: 2分

説教要約 Ⅱコリント5:1-5 2020.7.26

「主の幕屋に入る」      井上創牧師


幕屋はテントのようなものでしたから、その中に入るために、

入り口の布を分けて、あるいはまくり上げて入らなければなりませんでした。


その入り口の布は、こちらの世界と、

神さまのおられる世界とを隔てる役割も果たしていました。


ここからは神さまの領域。そういう境目のしるしでもあったのです。


わたしたちの礼拝にも、この幕屋の布が下がっています。

幕屋の内と外を分けるこの布こそが、礼拝の最初に奏でられる、前奏なのです。


この前奏によって、わたしたちは

「さあ、幕屋に入っていくぞ」「ここからは神さまの領域なのだ」

と、心を整えて神さまの前へと進み出ていくのです。


この幕屋の入り口をくぐるとき、

わたしたちは今日の礼拝がどのような色調によって進められていくのかを感じ、

そこへと心を向けていくのです。



示された御言葉への解釈はそれぞれであっても、

その御言葉に向けて、全ての礼拝のパートは、そこへ向かって行くのです。


前奏という入り口があって、

もしかしたら中は複雑に感じるかもしれませんけれども、

最終的には聖書の御言葉にみなさんが辿り着けるように、

礼拝はデザインされているのです。



パウロは言っています。

わたしたちはやがて天で与えられるものを、今上から着ている。羽織っている。


やがてわたしたちも見るであろう天に備えられた建物。

そこで、みんなで神さまを賛美するときがくるのだと信じながら、

わたしたちはこの地上の幕屋で今日も祈りを捧げることができたらと願うのです。

 
 
 

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